--アクセス有難うございます。あなたは&counter;人目の訪問者です。 改めて版権や著作権のないオリジナルのページを作成します。ただし編集者自身の著作権等は留保されています。当面ダウンロードされる皆さん個人の勉学上の参考にのみご利用ください。転載、改編を行う場合は編集者へ通知し、その了解を受けてください。 敢えてダウンロード用のページなど作らず全てこのページで処理します。 また、ご質問ご意見などは shimmerywatermoon@yahoo.co.jp にメールして下さい。~ 答えられる範囲内でこのページに反映したいと考えています。 //------------------------------------------------------- //会員向けのページは[[こちら>http://www.masunosoftware.com/login/login.cgi]]~ //------------------------------------------------------- //#attach -仏典関係 --入中論~ 法尊法師の漢訳より音読と訓読。~ 頌3と校記、訓読と訓読後記がセットです。 #ref(入中論頌3.doc); #ref(入中論校記.doc); #ref(入中論頌訓読.doc); #ref(入中論訓読後記.doc); --入中論密意解明~ 入中論のツォンカパ大師による注釈ですが、法尊法師の漢訳「入中論善顕密意疏」によってチベット語原文と訳注をアップしていきます。全く個人の勉強用ノートで何時かゲシェー様方にご質問をさせていただく時の下準備に過ぎません。~ とても初歩的な間違いを放置していたようなので取りあえず修正しました。2011/12/25/22:45修正~ #ref(入中論密意解明訳注.doc); --現観荘厳論~ 法尊法師の漢訳より音読。 #ref(現觀莊巌論頌.doc); --ユニコードラテン文字のダイアクリティカルマーク付きフォント~ サンスクリットの転写にはラテン文字拡張の1E00から1EFFまで揃っている次のフォントを使っています。~ Ms Reference Sans Serif --チベット語フォント~ チベット語ユニコードフォントは次のライセンスフリーフォントを使っています。 #ref(Jomolhari-alpha3c-0605331.ttf); #ref(TibMachUni-1.901.ttf); --藏印日英仏教用語集~ 一部入力に過ぎません。少しづつ加えて差し替えて行きます。予定の終了が見えて来ました。全体の修正も気が付き次第行っています。2009/12/10/18:28追加/修正~ ●表記は単語毎に、最初にチベット語、次の行に対応するサンスクリット(ユニコードラテン文字のダイアクリティカルマーク付きフォントで表示をします。原語が分かるという程度です。)、次の行に対応する日本語(漢語)と英語を表記し、不明なものは空欄にしています。~ ●アスタリスクマーク(*)付きサンスクリットは推定再構成(再建)されたものです。~ ●集合名辞は、最初に当該の集合名を行毎に、チベット語、サンスクリット、日本語&英語、の順に表記し、次にその集合名に含まれる各単語毎に、チベット語、サンスクリット、日本語&英語、の順で冒頭のチベット語に①、②、③と番号を付して続けて表記します。集合名が、八何々、十何々、十五何々などとあって途中まで内容が重複する場合は、先ず八何々を番号順に表記し、残りを続けて番号順に表記しています。~ ●必要な場合は適当な注記を入れるつもりです。~ ●仏教経典の漢訳には概ね①旧訳②玄奘三蔵以後の新訳③法尊法師等の現代訳があります。一応、仏教用語の漢訳は呉音で読まれるものとして当該用語の下に「新かなづかい」で音読を付していますが、呉音からの慣用音が使われているものはこれを示しています。また、日本の唯識宗関連で異読があるのでその場合は( )で追加表示しました。用語自体が唯識宗関連のものの場合は呉音からの慣用音扱いをして( )を付していません。 #ref(蔵印日英.doc); --藏印日英カンギュル・テンギュルリスト~ 順次作業中の経典名リストをアップします。チベット大蔵経は経部と律部をカンギュルと呼び、論部がテンギュルです。そのカンギュルから始めています。最初にワイリー表記のチベット名、次にそのユニコードチベット文字表記、次に対応するサンスクリット名、次に対応する日本語(漢語)名と英語名を表記します。現在カンギュル全103冊中83冊途中まで入力しました。密教経典も含め主要な経典の多くが目録に入りました。漢訳経典名と英語名との対応も徐々に判明してきました。別にアップ済みの蔵印日英文献目録(経名別)にもこの結果は反映しています。 リストそのものはデルゲ版のカンギュルの順で経典名をあげていきます。具体の経典名の表記やサンスクリット経典名は概ねデルゲ版の表記に従います。~ 参考にTBRCのデルゲ版PDFファイル番号と所在ページ数も記入しています。2011/03/01/22:15追加/修正 #ref(蔵印日英カンギュル文献リスト.doc); --藏印日英仏教文献目録~ 一部入力に過ぎません。少しづつ加えて差し替えて行きます。~ 経名別は経典目録、人名別は著作者名別の論典目録です。対比表程度のものです。経典目録は蔵印日英カンギュル文献リストの状況も反映していますが、今後密教部分など追加を予定しています。2010/09/13/12:10追加/修正~ #ref(蔵印日英文献目録(経名別).doc); #ref(蔵印日英文献目録(人名別).doc); --月光疏精粋訳注~ 「月光疏精粋 Sārasiddhāntakaumudī」の本文と訳注です。17世紀末のVaradarājaによって書かれたサンスクリット文法テキストです。インドの伝統的文法そのものの勉強を単なる個人的楽しみで漢訳頼りに紹介します。ディーバナーガリ文字の印刷書体は書体毎に色々癖があって判読するのも最初はたいへんです。日本の梵字とも共通点があるチベット文字が懐かしい!~ 手探りで訳していますので、特に語注などは個人的に入れたもので全く信用しないでください。誤りのご指摘はメールでいただければ幸いです。その都度、追加訂正していきます。2009/06/04/19:35追加/修正~ #ref(月光疏精粋訳注.doc); -中国古代学関係 --周易折中~ 御纂周易折中の訓読を作成中。現代語訳は意訳、補訳の形で今後挿入する予定です。2016/10/08/9:00追加~ 御纂周易折中の訓読を作成中。現代語訳は意訳、補訳の形で今後挿入する予定です。2016/10/08/10:00追加~ #ref(御纂周易折中.pdf); --周易林象解義~ 未定稿の一部入力。~ 単なる個人的楽しみで作成中。解義部分も少し入力しています。2009/03/05/19:00~ #ref(周易林象解義.doc); -日本古代学関係 --万葉代匠記~ テキストの順次入力。~ 契沖に深く学ぶ個人的楽しみで作成中。読みやすいテキストをと考えています。 -白川古代学関係~ 白川静先生には岩波新書「漢字」が出版された直後に押しかけ弟子になって以来ご縁をいただいていましたが、最初にお会いした時にあの「孤詣独往」というお言葉があり今でも昨日のことのように思い出されます。~ 今回、平凡社から松岡先生による「白川静」伝が出版され、我々ご縁のあったものが果たすべき宿題の回答の内の一つの大きなものが出現し、ほっとすると同時に松岡先生のご苦心とこの伝記に懸けられた渾身の思いに感動しています。~ ところで私が白川先生とお話したあれこれを思い出し少し補足すべきものを記録して置きます。 --先生の学問をどうお呼びするか~ 松岡先生の「白川静」伝には編集の都合でしょうが「稿本詩経研究」については触れられている程度ですので個人的な記憶を補足しておきます。~ 1970年当時、立命の広小路の研究室で先生から詩経の研究には皇清経解と叢書集成に収められている詩経関係の文献全てに目を通すことと、契沖の万葉代匠記を精読することが必要だと教えられました。父が皇清経解続編の購入費を出してくれたので、正編はアルバイトをして手にいれ懸命に読みましたが、叢書集成は大部のもので個人ではなかなか手に入れにくく全てを所有できたのは30数年も経って先生がお亡くなりになってからです。当時、研究室にお訪ねしたときに叢書集成初篇のあちこちを自由に読ませていただいていました。その折、研究室の叢書集成の至る所に先生の備忘用の紙片が挟んであって驚嘆したことを思い出します。またこれも「白川静」伝にないことですが、万葉関係では契沖とその万葉代匠記を先生がたいへん評価し愛し大切にしておられ冨山房百科文庫本をいつも手にしておられました。柳田国男についてはその全集全体の索引を作られたとお聞きしましたが、江戸期の契沖や本居宣長や平田篤胤が中国の文献に極めて精通していたのに比べてのことでしょうか、ある時「柳田も折口も漢文が読めないから」といわれたことが強く記憶に残っています。「水経注」等に豊富な民俗伝承が残存していることなどよく仰っていましたから中国文献における古代民俗研究での孤軍奮闘の状況が先生には残念であったことだろうと思います。~ 白川先生と東洋学との関係について松岡先生は貴重なお考えを「白川静」伝の「あとがき」で表明しておられますが、白川先生の学問をどうお呼びするかについて1977年当時にご自身にお尋ねする機会がありましたので紹介して置きます。その頃、私が関わる個人的な場に先生がご出席いただくということがあり、その会の中で先生のご紹介をするにあたって試案として「古代学の権威」という文言をお示ししたことがあります。中国古代学とともに折口先生の言われたような「古代」研究の権威であるという趣旨でそう申し上げたのですが、白川先生は我が意を得たというように即座に快諾していただきました。白川先生は日本の研究について契沖の後に続くものという強い思いがあったと感じていますが、それが「古代」研究の姿勢ではなかったかと今に至っても思いますし、実は中国古代学はその余波に過ぎなかったのではないかとさえ、先生の沢山のお教えを振り返って思うのです。~ 一応記録して置きます。~ …以下続く…